« 2009年1月 | トップページ | 2009年9月 »

ブランド民主は美味しいでしょうか? 

2009.8.31

昨日は衆議院選挙。

民主党が300議席を超えて308議席で圧勝。

まあ、それだけのことである。

自民党はなぜ負けたか。

誰でもが負けて当然と思うほど印象が悪かった。

相場で言えばとんでもなく地合が悪かった。

小泉改革が悪かったんでしょうか?

いいや、それは大したことではない気がする。

年金問題のくすぶり。

大臣の政治資金と会計処理の問題があったこと。

なぜあそこまで不透明な弁明だったか。

松岡農水大臣の自殺や赤城農水大臣の更迭にまでなった。

参議院での敗北。

安倍首相の不甲斐ない退陣。

福田首相の大連立構想と自民党の確執と短命内閣。

そして昨年9月に麻生マンガオタク内閣誕生。

ほとんど同時に゛米サブプライム問題深刻化と世界経済の急降下。

そこに中川外相のローマでのゴックン記者会見。

そんな滑稽で求心力が無くだらしない自民党ぶりを見せ付けてきた。

国民は少子高齢化と年金問題、失業率の悪化、苦しい家計等に悩む。

見通しが見えない閉塞感。

ガソリン特別減税や特別給付金や高速料金やエコ減税など景気刺激策はあった。

しかし、この程度でもはや自民党への信頼感はこれで回復するはずが無い。

それなら民主党は信頼できるかというと何ら根拠は無い。

ブランド自民の青汁はまずくてもう飲む気がしない。

しかしまだブランド民主の青汁があるじゃないか。

今度はこれを飲んでみようかなということですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

嗚呼!!伊藤源三先生

本日ご子息からご親切に葉書をいただいた。

伊藤源三先生は去る7月11日に95歳の生涯を閉じられたと。

昨日のこのブログで先生のことを思い出していたばかりだった。

先生が小学校3年の担任人になって依頼、毎年欠かさず年賀状を書いた。

先生は必ず毎年欠かさず素晴らしい字で年賀状を送ってくださった。

いつも先生が気にして見守ってくれている。

僕にとって伊藤源三先生は守り神のような方だった。

勉強嫌いだった僕が勉強を意識するようになったのは先生のお陰だ。

今の僕があるのは先生のお陰だと思う。

多分、4年前に亡くなった父仙之助と同い年だ。

父もなぜか源三先生のことをよく知っていた。

先生らしい良い先生と言っていたように思う。

そんなこともあって源三先生は僕の誇りだった。

朝鮮の京城師範学校付属小学校教諭を経て半田小学校に来られた。

その後は半田養護学校で教えられたそうだ。

多分その頃に一度お宅をお訪ねしたことがある。

僕の伯母が亀崎の高根に住んでいてその近くに住んでおられた。

いろいろなことを熱心にお話していただいた。

あれからもう長いことお会いしていなかった。

今年も年賀状をいただいた。

今年初めてご子息の代筆だった。

近年はあの素晴らしい先生の字は随分と衰えていたから、ついにそうかと思った。

しかし、元気にしてますとの事だった。

でも、気になっていた。

御健在のうちに是非お会いしなければと思っていたところだった。

嗚呼!伊藤源三先生。

天国から見守っていてくださいね

Cocolog_oekaki_2009_08_15_22_26

| | コメント (1) | トラックバック (0)

彼方の憧れの人

半田の小学校2年生だった。

表で遊んでいたら東京から背の高い女の子が引っ越してきた。

近所の幼馴染の女の子とは明らかに違っていた。

ショートヘアの素敵な女の子。

本町に出る左角のポストのある二階建ての家の二階に住んでいた。

そこにはテレビがあって、右角の餅屋の3つ下のやっちゃんと遊びに行ったものだ。

反対に彼女が我が家にも遊びに来た。

我が家にはマンガが沢山あったのでみせてやった。

同い年と分かったのは翌年小学校3年の時に同じクラスになったからだった。

すごく頭良いし、美人だったし、声も素敵だった。

あまり話はしなかったが、彼女が居るだけで満足していた。

お陰で成績も良くなり、学校賞を貰った。

担任だった伊藤源三先生は印象深い。

身近な人であってほしい特別な気持ちが湧いていた。

直美ちゃんは小学校6年生の卒業式は総代になった。

中学に入ると彼女は成岩に移っていった。

たまに砂糖を注文してくれて、東條さん宅に配達に行く親父の車に乗ったものだ。

彼女はいないかなと密に思ったものだ。

会って遊びたいけれどすごく気恥ずかしくてダメだった。

結局、中学時代は会ったことはなかった。

半田高校に幸いにして受かり、入学した。

驚いた。

彼女が同じ伊藤悟郎先生のクラスになったのだった。

いつも彼女の存在を気にして暮らした。

でも受験校の厳しい生活の中でほとんど話す機会もなかったし、気恥ずかしさが会話を妨げた。

そして、ついに大学受験で、別々の大学に入った。

その頃彼女は亀崎に引っ越していた。

彼女と会いたい。

そうだ文通しよう。

彼女の家にも行こう。

そして、彼女と何回も何回も会ってデートした。

しかし、なぜかどうしても思いをぶつけられなかった。

そして、社会人として大阪に赴任した。

その2年後、彼女は中村さんとなった。

・・・・・・・・・・・・・・

素晴らしい思い出をありがとう。

もう40年ほど前のことだ。

元気に暮らしてるかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年1月 | トップページ | 2009年9月 »